紀元前510万年 |
カウアイ島誕生。 |
紀元前489万年 |
ニイハウ島誕生。 |
紀元前260〜370万年 |
オアフ島誕生。 |
紀元前176〜190万年 |
モロカイ島誕生。 |
紀元前128万年 |
ラナイ島誕生。 |
紀元前75〜132万年 |
マウイ島誕生。 |
紀元前103万年 |
カホオラウェ島誕生。 |
紀元前0〜48万年 |
ハワイ島誕生。 |
紀元400〜500年 |
マーケサス諸島からアウトリガーカヌーに乗って遥か海を渡り、ポリネシア人がハワイ諸島にやってくる。 彼らは持参したタロイモ、パンの木、豚、犬、ニワトリなどを元に農業を始める。
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12〜13世紀 |
タヒチから多くの人が移り住む。 |
1758年 |
ハワイ島ココイキでカメハメハ大王生まれる。 |
1778年1月 |
キャプテン・クックが偶然オアフ島を“発見”。2日後にはカウアイ島、続いてニイハウ島に上陸する。クックはこの地を当時のイギリス海軍大臣に敬意を表して“サンドイッチ諸島”と命名する。同年11月ハワイに戻ってきたクックはマウイ島に上陸。翌年1月にはハワイ島を訪れるが、住民とのトラブルで殺されてしまう。ハワイ諸島が西洋社会に知られることとなる。 |
1790年 |
デイヴィス、ヤング両名を軍事顧問に迎え、銃と大砲を入手したカメハメハは、イアオ渓谷の戦いに勝利し、マウイ島をほぼ手中に収める。 |
1795年 |
カウアイを除くハワイ諸島の統一に成功。王族の覇権争いに終止符を打って王国を樹立。 |
1796年 |
首都をヒロに制定。 |
1790年代 |
白檀(サンダルウッド)貿易が始まり、1830年代まで続く。 |
1802年 |
ラナイ島で砂糖生産が始まる。 |
1803年 |
ヒロからラハイナに遷都。 |
19世紀前半 |
日本近海に棲むマッコウクジラの捕鯨基地としてラハイナ、ホノルルの町が栄える。また、捕鯨船に塩漬けの肉を売るため、塩および牛肉の生産が盛んになり、パーカー牧場などが開かれる。野菜、果物、コーヒーの生産も始まる。 |
1810年 |
交渉の結果、カウアイ島、ニイハウ島も王国に併合される。 |
1816年 |
座礁したベーリング号奪回の交渉役として派遣された船医シェーファーが会社に独断でカウアイのカウムアリイ王と密約を結び、ワイメア河口にロシア砦を建設。カメハメハ大王との仲が険悪になるが、結局シェーファーはカウムアリイに追放される。 |
1819年 |
ハワイ島カイルア・コナにおいてカメハメハ大王死去。大王夫人のカアフマヌがカプー(禁忌)制度を廃止。 |
1820年 |
カルビン派がキリスト教の布教を開始。これに伴い、ハワイ語のアルファベット表記が広まる。 |
1835年 |
カウアイ島コロアにおいてサトウキビ・プランテーションが始まる。 |
1840年 |
憲法が制定され、政府ができる。 |
1848年 |
土地私有制度“グレートマヘレ”が導入され、ハワイ諸島全土が国王と245人の族長に分配される。 |
1850年 |
外国人の土地所有が認められ、白人投資家が多くの土地を買い占める。サトウキビ・プランテーションの労働力確保として中国から最初の移民が着く。ラハイナからホノルルへ遷都。 |
1863年 |
ニュージーランドから来たエリザベス・シンクレアがカメハメハ4世からニイハウ島を10000ドル+ピアノで買い取る。 |
1868年 |
日本からの移民第一弾が到着。ちなみにこの移民第一弾は政府無認可の密出国であった。1日12時間働いて月給は4ドル。中には契約終了後貯蓄した3000ドルを手に帰国する者も少数いたが、ハワイでの生活に希望を抱き残る者が多かった。最終的に日本からの移民は18万人を超える。 |
1872年 |
カメハメハ5世の死去に伴い直系王家は途絶。 |
1874年 |
ルナリロ王の病死に伴い、カラカウアが第7代国王に選出される。
砂糖に関税を課さないことと引き換えにアメリカが真珠湾を軍港として使用し始める。 |
1878年 |
孫文がハワイに移り住む。 |
1881年 |
カラカウア王が日本を訪問して移民を要請。また、姪のカイウラニ王女と山階宮定麿親王の縁談を持ちかけるが断られる。 |
1882年 |
イオラニ宮殿が建設される。 |
1886年 |
中国移民禁止法が施行される。これに伴って日本からの移民が増加する。 |
1887年 |
外国人による準軍隊組織“ハワイ連盟”の威嚇のもと、カラカウアが“銃剣憲法”と呼ばれる新憲法にサインする。この結果、王から議会に権限が大幅に移行し、一般ハワイ人の選挙権もなくなる。
カメハメハ大王の直系子孫であり、ハワイ全土の9分の1を有していたバーニス・パウアヒ・ビショップの死去に伴って設立されたビショップ財団が、カメハメハ・スクールを開校する。
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1891年 |
サンフランシスコに向かう途上で風邪をこじらせ、カラカウア王が死去。妹のリリウオカラニが後を継ぐ。 |
1893年 |
リリウオカラニ女王が純粋なハワイアン以外には投票権を与えない新憲法の施行を画策しているとの情報が漏れ、アメリカ軍艦ボストン号から軍隊が上陸し、臨時政府を樹立。リリウオカラニ女王が退陣。ハワイ王朝が幕を閉じる。 |
1894年 |
共和国を宣言し、サンフォード・ドールが初代大統領となる。 |
1896年 |
法律61号が布告され、ワイキキの土地使用権が白人投資家に渡り、リゾート開発が始まる。 |
1898年 |
アメリカに併合され、ハワイは事実上ドールを代表とするサトウキビ農園主およびビッグ・ファイブ(Castle & Cooke、C.Brewer、Alexander & Baldwin、Theo Davies & Co.、Am Fac)に支配されることになる。 |
1901年 |
ドールがオアフ島ワヒアワでハワイアン・パイナップル社を設立。労働力確保のために1900年にプエルト・リコ、1903年に韓国、1907〜31年にフィリピンから契約労働者が到着。そのほとんどがそのままハワイに住みつく。
W.C.ピーコックがワイキキにモアナ・ホテルを建設する。
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1912年 |
デューク・カハナモクがストックホルム・オリンピックの100m自由型で金メダルを獲得する。
29歳となった彼は1920年のアントワープ・オリンピックでも世界記録を更新して再度金メダルを獲得している。
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1921年 |
ワイキキ環境整備プロジェクトが始まり、ワイキキ、アラモアナ、マッカリー地区の湿地帯が埋め立てられる。
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1922年 |
ドールがラナイ島のほぼ全域を買い取る。
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1925年 |
サンフランシスコ、ロサンゼルスとを4日半で結ぶ650人乗りの定期観光客船“マロロ号”が就航する。
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1926年 |
アロハタワーが完成。
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1927年 |
ロイヤル・ハワイアン・ホテルができる。
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1928年 |
リゾート用地確保のために始められたワイキキの水田や養魚池の埋め立てが完了し、地価が30倍以上に跳ね上がる。
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1935年 |
その後40年続いた人気ラジオ番組“ハワイ・コールズ”が始まる。
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1936年 |
パン・アメリカン航空がサンフランシスコ・ホノルル間を21時間33分で結ぶ7人乗り水上飛行機“ハワイ・クリッパーズ”の運航を開始。
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1941年 |
太平洋戦争勃発。真珠湾が日本機動部隊の奇襲を受け、3435名の死傷者、戦艦8隻ならびに大型艦船10隻が沈没ないし大破、航空機188機が破壊される。これに伴い1000人の日系人がアメリカ本土の収容所へ送られる。
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1943年 |
ハワイ在住日系人のみで構成された第100大隊が北アフリカ戦線に投入され、その後イタリア戦にも参加する。この大隊が目覚ましい戦果を挙げたため、ハワイおよびメインランド在住の日系人による第442連隊が編成され、同大隊も編入される。同部隊の死傷率はアメリカ陸軍平均値の3倍であり、パープル・ハート(陸軍における最高位の戦傷章)をもっとも多く受勲している。
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1959年 |
アメリカ50番目の州となる。
1960年 |
チリ地震によって発生した津波がハワイ島ヒロを襲い、61名の死者を出す。キラウェア・イキが大噴火。
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1990年 |
キラウェアの溶岩にカラパナの町が飲まれる。
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1992年 |
ハリケーン・イニキがカウアイ島を直撃し、甚大な被害を与える。
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